どうも~ ずらいむです。
今日は、武道の真髄について、酔っぱらいつつ書きなぐりたいと思います。
武道の真髄、、、いや!
人生の真髄とは、如何に?
そんなことを みんな一度は思ったことがあると思います。
えっ?
武道の事なんて関係ないね(By柴田恭兵)
などと言わず
今日は、バシッと、ズバッと、ドバっと、どどどっ と 私の思いを勝手に垂れ流しちゃうので、良かったら読んでね😍
まずは結論から、、、、、
武道の真髄とは、まことの己を、この世に実体化することなり!
???
いや~ わっかるかな~ わっかんね~だろうな~
じつは僕だって、よくわかんないんですけどね。
いろんな本を読んだ結果、私の結論はここにたどり着いたわけです。
まあ、聞いておくんなまし。
「まことの己を、この世に実体化する」とは
簡単に言うと、
「火事場のくそ力(ぢから)を出す」って事です。
人間ってのは、本来の自分を 素直に出すことが出来れば、火事場のくそ力が出るんです。
でも、私たちはその力を発揮できません。
それは何故かと言いますと、体の緊張が「火事場のくそ力」を邪魔しているんです。
気負い
見栄
義務感
常識
などからくる、体の緊張が、火事場のくそ力を邪魔しているのです。
ん~ 🤔ここまで、書いてみましたが、私の文章が下手でなんか上手に言えてないですね~。
自分の力不足です。すみません。
ん~ 🤔
「まことの己を、この世に実体化する」とは
かなり、ざっくり言うと
「本来の自分の実力を出し切る」という事に近いです。
人は皆、なかなか自分の実力を出し切ることは難しいですよね。
上手く話そうと思えば思うほど、結婚式のスピーチは緊張したりしますし、
あんなに練習したはずの高校生球児も、9回裏に緊張のあまり失敗することがあります。
「緊張で実力を出せなかった」という経験は誰にでもあることだと思います。
でも、どうして人は緊張しちゃうのでしょうか?
気負い
見栄
義務感
今の自分の実力だと、メダルを取るのが当然だとみんなから思われているのではないかとか、ある種の常識的考え
これらの感情によって、人は心を乱し、緊張して実力を出せなくなっちゃうんですよね。
私は、これらの感情は一言で言うならば、「煩悩」だと思うんです。
気負い
見栄
義務感
ある種の常識
これらは全て本人の感情の問題なんです。
本人の感情だから、本人次第で取り除くこともできるんじゃね~と思うんですよね。
自分で取り除く方法の一つが、武道だと思います。
武道をする目的は、これらの自分自身の感情(煩悩)をすべて払って払って 払いまくって、取り除くことだと思うんです。
ですから、武道の試合で勝って喜ぶことは、矛盾する行為だということです。
感情が爆発して喜ぶ場合、自分自身にかかっているプレッシャー(=煩悩)が満たされて喜んでいるわけですから、武道本来の目的とは違うという事です。
ですから、炎上を覚悟で言いますと
「オリンピック柔道は煩悩にまみれてしまい、もはや武道ではない」という事です!
あちゃ~言っちゃったよ~
書いてはいけないと思いながらも、つい、勢いで書いちゃった(>_<)
(こんな弱小ブログだから炎上もしないだろうけど)
私が考えるに、元々武道の目的とは
「まことの己を、この世に実体化する」ことなんです。
これをとても簡単に書くと、
「自分の緊張の元である煩悩を取り払い、本来の自分の実力を出し切る」
ことが目的なんです。
でも、どの程度、自分の緊張が取れて無くなったか とか
一人で柔道などの武道の練習をしても、自分だけでは分かりません。
だから、仲間と試合をして、どこまで緊張が取れているかを、お互いに試し合うわけです。
それが、試合なんです。
つまり、相手に勝つことは目的ではないわけです。
自分の緊張(煩悩)を取り払うことが、目的なんです。
ところが、オリンピック柔道はなんですか?
優勝して、やった~金メダルだー!!
って、試合相手の目の前や試合の場である畳の上で 喜ぶとは、、、、、
もはや武道ではありません。
喜ぶのは金メダルではありません。
自分は、ここまで緊張をとることが出来た!と自分の武道の成果を喜ぶべきです。
そして、自分の武道の成果を確かめさせてくれた、試合相手に感謝をするだけでいいのです。
だから、オリンピック柔道は、武道ではないと、私は思うわけでありますが、、、
ただ、私が知っている範囲で、たった一人、違う方がいらっしゃいました。
浜田尚里選手です。
浜田選手は、優勝したあと、畳を降りてから喜んでらっしゃいまして、武道を体現している方だなぁと思っちゃいました、こんな方が多くなるといいなぁと思います。
それと、余談ですが私の記憶によれば、過去に剣道が オリンピックの種目の候補に挙がったそうなんですが、、、、、
その時、剣道の方々は、オリンピック種目にしてしまえば、本来の武道の精神が剣道から無くなってしまうと、オリンピック種目とすることを断ったそうです。
私の記憶の範囲ですから、本当の話なのかはわかりませんが、私はこの話が好きです。
剣道の目的は、剣道を世界的に有名にして、競技人口を増やすことではない。
剣道を通じ、武道の真髄を極め、各自が己の煩悩を祓うことだ!
と判断されたのでないかと勝手に思っております。
この話を思い出すたびに、私は自己を省みて、しみじみとグラスを傾けちゃうんですよね。(笑)
まあ、ここまでつらつらと、えらそーに自分の勝手な思いを垂れ流したわけですが、
もし、万が一、、、、私のブログがTVとかで紹介されたら、
私は「やった~ これで金儲けができるぜ~ アフィリエイトバナーを貼りまくるぜ!」
と思う事でしょう。
いくら、武道の真髄は何ぞや!
とか書こうが、自分の事になると煩悩があふれ出ちゃうんですよね~。
悲しい事に、私もまだまだ武道の何たるかが分かってないんです。
拙者に武道の真髄を語る資格はないけど、書きたいから書いているのでござる。
それ自体はきっと、何も悪くないのでござる。わっはっは~ (^O^)
所詮、人とはそんなもんだと思ってます。
自分のことは棚に置いて、しゃべらないと 世の中しゃべる人がいなくなっちゃうと思うんだよね~。
えーっと、そろそろまとめますと、、、、
私がお伝えしたいのは
自分の体から緊張を払うこと
つまり、自分の精神から煩悩を祓うことができるようになると、
本来の自分の姿で生活することができて、人生楽しくなるよってことなんです。
そして、自分から緊張を取り払う練習手段の一つとして、武道があることをお伝えしたいわけです。
武道は数ある手段の一つというだけなので、
人によっては、ギャンブル道を極めても良し
家事道でも、仕事道でも、勉強道でも、トランポリン道でも、なんでもいいんです。
全ての道、それぞれの道で、煩悩を払って払って、
本来の自分に戻ることが、人生の真髄である
と私は思うわけ で~あります。
ちなみに、今日書いた記事内容はすべて、私の師匠やいろんな本、ユーチューブからパクっております。
私はただ編集しただけで、偉い訳じゃないんですぅ。
ただ、偉大なる先人の考えをえらそーに言いたいだけですぅ。
そして、出来れば読者登録して頂きたいだけですぅ。(笑)
では、御免。