感覚を磨くために、日々足掻いている ずらいむです。
感覚とは何ぞや?
酔っぱらいながら、そんな、どーでも良いことを考えてる ずらいむです。
もしかすると、感覚、、、、、
つまり、感じることこそが、生きていると言うことかも知れません。。。。
死んだら感じれないっす。
美味しい
気持ちいい
ムカつく
ねたむ
眠たい
つまらない
楽したい
そんな、感じている事を、感じることこそが生きてるってことかも、、、、、
逆に言うと、感じている事を、無視する行為は生きることに、逆行しているかもです。
酒を飲みたい
仕事したくない
盗みたい
そんな気持ちがあるなら、それに従うことが「生きる」ことじゃね?
盗みをすれば、捕まるし
不倫をすれば、叩かれる
そうなって初めて、盗みや不倫をすると割に合わないので、止めとくか、、、
と思ったならば、その時にしなければ良いだけでは?
自分が割に合わないから、止めとくか、、、、
と、思わないのに、
単に、社会の常識に合わせて、行動してしまうのは、生きてないんじゃね?
自分の気持ちを、まず、つかむこと!
つかまずに、行動してはいけない!
自分の気持ちが見えないのに、感情に任せて行動してはいけない。
感情をつかんだ後に、行動すべきなのだ
私の思い、感情、感覚
そのすべてを、自分自身がそのすべてをつかむ必要がある。
多分、それが生きるってことだと思う。
でも、、
この考え方は、正しいのか?
間違っているところはないか?
あやふやな考えとなっている部分はどこ?
それ自体を感じるのだ〜〜〜!!
感じれないなら、感じれる様になるまで、感じようとするのだ!
そして、眠くなったら寝るのだ!
そして、起きて、何かを考え、
何かの行動をするのだ。
それが、多分、生きるってことなのだ。
だから、若者はワガママに生きるのが正解なのだ。
歳を取って、割に合わないって思ったら、ワガママを自然と止めるのだ。
その時が来るまでは、犯罪でもなんでも、思ったとおりにすべきなのだ!!!
知らんけど、多分これで合ってるのだ 笑
この考えが許せない人は、コメントに書き込めば良いのだ。
コメントに対して、気が向いた時にのみ、返信をすればいいのだ。
僕は、僕の感情を捉え、感情の赴くままに、行動をすればいいのだ。
眠たいから、もう寝るのだ〜〜〜