掃除をしたくない。
おしっこがしたくなり、目が覚めたのに、布団から出たくないwww
朝、起きたくない。
苦手な人と、話したくない。
仕事をしたくない。
などなど、「やりたくない」ことが、誰にでも色々あるよね~
でも、嫌でも結局はやらないと いけない事なのである。
やらないといけないのに、「やりたくない」。。。。
恐らく、達人にはこの気持ちが無いのではないか?
なんとなく、そう思うのである。
いや、正確に言うならば、「やりたくない」と思うことすら無くなった人こそが、達人になれるんじゃないかなぁ?
達人になるためには、、、、、
日々の稽古や生活を通して、感覚を上げる必要があるのだが、
日々の稽古や生活をやり抜くためには、
「意識」のパワーと純度が必要だ。
「やりたくない」と思うことは、「意識」のパワーと純度にブレーキをかける行為なので、達人になるためには無くす必要があると思うのだ。
でも、「やりたくない」気持ちに対して、「やるぞ!」と気合を入れるのは間違いだと思う。
2つの意識がぶつかり合ってしまい、「意識」のパワーと純度が半減してしまう。
そもそも、「やりたくない」との気持ちを発生させては、いけないのだ。
そんなこと無理じゃん と思うかもしれないけど、
普通の人が無理だと思うことを、やれなければ達人にはなれない。
「やりたくない」気持ちを発生させないためには、どうすればいいか?
私が思うに、、、、、
「やりたい」気持ちの純度をあげることである。
例えば、「仕事に行きたくない」と思う時、、、、、
実はその前に、「お金を稼ぎたいから、仕事に行きたい!」との動機があるのだ。
「お金を稼ぎたいから、仕事に行きたい!」との動機、、、
つまり、この自分の意識の純度を100%まで上げるのだ。
そうすると、「仕事に行きたくない」との意識が発生する隙間がなくなる。
最近、私が通っている道場の疋田先生や兄弟子、
またそのほかの達人の方々の行動や考え方をブログ等で観察すると、
どうも、意識の純度がムチャクチャ高いのだ。
そして、純度が上がるということは、一点に集中することでもあるので、同時にパワーも爆上がりするのだと思う。
それでは、意識の純度を上げるための、必要条件はなんなのか?
私が思うに、、、、
自分軸
丹田
内観
明鏡止水
観の目
こんなことだと思う。
私が通う疋田一直先生の道場では、「見ること」「感じること」を毎回練習するのだが、意識の純度を上げるための練習なのだと思う。