私のちょっとした自慢は、中学生の頃、1年間に図書館の本を借りた冊数が学年ベスト3に入ったことである。
多分、同級生の誰も覚えてないだろうし、本当にささいな自慢です 笑
まあ、いかに私は本好きだったかを言いたい訳ですが、
そんな本好きだった私は30才ぐらいのころ、ふと思ったことがあるんです。
それは、『小説には一切、無駄な文字がない』ことです。
作者は推敲に推敲を重ね、無駄な文字は削りに削り、必要な文字だけを書いてると思うんです。
道端の石ころの描写があれば、それは小説を書く上で必要だから、その描写をするわけですよね。
句読点( 、 。)一つにしても、考え抜いて書かれています。
もし、小説の中に、意味ない描写・不要なキャラクター・どうでも良い文章があれば、絶対に削除されると思うんですよね~
もし、意味のない文字の羅列があっても、その時は、意味ない文字の羅列そのものに意味があるから書かれてあると思います。
筒井康隆さんや井上ひさしさんには、そんな文字が多いっすよねwww
意味のない文字の羅列で、何らかの世界観を作ることが、作者にはできます。
つまり逆を言うなら、小説の中の世界は、作者によって作られた世界です。
作者が、ハッピーな話を書けば、小説の中の世界はハッピーな世界になるし、
スプラッターな話を書けば、スプラッターな世界が小説の中に出来上がります。
言うならば、作者は世界を自由に作ることができる神です。
まあ、以上のことを30才ぐらいの頃、思ったことがあります。
さてさて、そして、ここからは今日私が感じたことです。
執筆者は神となり、小説の中に世界を作りますが、、、、
恐らく、私が住んでいるこの世界を作った人も、多分いるよな~って思ったんです。
この世界を作った人は、神ってことになるんでしょうけど、
もし、神がこの世界を、意図して作ったのならば、、、、、
無駄なものを作るだろうか?
小説の作者は無駄な描写を、一切しない
そのことを考えると、この世の作者である神も、無駄なものは一切作っていないじゃね?
そんなことを考えたんです。
確か、仏教の教えでは、「この世のあらゆるものに仏が宿っている」みたいな言葉があった気がしますが、、、、、
それと同じことです。
神様は何らかの意図をもって、ゴキブリも、石ころも、戦争すらも作ったんじゃね?
さらに考えると、私が見たり、聞いたり、触ったり、、、、
私が感じるものすべてにも、意味があるんだと思います。
作者は、私を作るときに、同時に、私にとって必要な出来事をあらかじめ作ったのではないか?
言い換えるなら、私が私で存在するために、私に必要な出来事だけをいちいち発生させて、私に感じさせているってことになるじゃね?
この考えが頭に思いついたとき、私は、こう思いました。
いくら神様でも、全人類は80億人以上いるのに、いちいち一人一人のことを考えながら、その人に応じた出来事を発生させるのは無理じゃね?
でも、よく考えてみると、80億人を多いと思うのは、あくまでも人間である私が思うだけであって、
全知全能の神にとっては、80億人の人間を作るぐらい楽勝!! かもです。
だって、スーパーコンピューターや今後実用化される量子コンピュータなら、80億人の一人一人の人生プランや出来事を簡単に作れるような気もするので、
やっぱり、神様にとっては、80億人ごときの人生のすべての出来事を描写して、実行するのはムチャクチャ簡単なことだと思います 笑
そうだとすると、やっぱり、この世には無駄なものは一切ない。
無駄なものは、作る意味がない。
そんな気がします 笑
となると、、、、、
小説では、無駄な文字の羅列さえも、意味があるわけですから
この世でも、私のぐうたらで無駄に思える1日も、実は意味があるのかもですwww
いやいや、ちょっと待て!
ぐうたらな1日でも、意味があるって、今わたしが思ったってことは
このことにも、意味があるわけですよね?
つまり私は、ぐうたらな1日を過ごしたことに後悔しているわけですから、、、、、
この後悔している気持ちに、意味があるのでしょう。
きっと、この「後悔」は、いつの日か充実した1日を過ごすための「後悔」なのでしょう。
つまり、極端な言い方ではありますが、、、
後悔をすればするほど、意味があるってことじゃね?
ん?
そういえば、そんな歌詞があったような気がしますね?
この失敗は、次回成功するためのものだから、落ち込む必要はないよ
確か、そんな感じの歌詞だったと思いますが、、、、なんだっけ??
ん~???? 思い出せないっす。
オレも年取って、ボケてきてますwww
いやいや、この ボケてきたってことにも意味があるわけですから、別に落ち込む必要もないかもね
安心してボケまくるぜ 笑