久しぶりにサイゼリヤに来た。
飲み会があり、電車の駅から20分歩く間、我慢できずに、道端のサイゼリヤに、久しぶりに入った。
プラスチックのグラス
プリント版のテーブル
安いワインとスープを頼んだ
僕は、いたたまれない気持ちになった。
これが、現代の世界なのか?
温かい部屋と料理を出していただいて、
感謝している。
でも、なにかが、違う。
働いているアルバイトの学生さんは真面目に働いてるし、店もきれいだ。
でも、、、、
何か、悲しい。
豊かとされる、この現代で、、、、
プラスチックのグラスで
何か違う味のワインを飲み、
何か違うスープを飲む
寒い帰宅途中に、温かいスープを飲めることは、感謝しかない。
でも、本当の食事ではない
そのことに、いままで、気づけなかったのは、
僕の責任だ。
いまも、サイゼリヤのワインを一口飲んでいる。
よくわからないスープを飲みながら、何となく納得している。
これは、これで、いいのか?
今までは、気付かなかったから、問題だとも思わなかったけど、気づいてしまった。。。
というか、教えていただいて、気づかせてもらったのだ。
と言いながらも、また、
プラスチックのサイゼリヤのワインを飲む。。。
50才を過ぎ、申し訳ない気持ちだ。
後世に、こんなつまらない世の中を引き継がせるとは、、、、、、
すみません。。。。
オレは、どうすればいいのだろうか?
何も分からない。