意識の花道!

身体操作や日常生活のコツは、脳が疲労するほどの「超高品質な意識」だったナリ。

何千年も続くとは、逆にすごいことかも

グラッチェ~ ずらいむです。

 

今日は「宗教」についての、4回目で~す。

私は、理想の身体操作をするためには、宗教的な考え方である「任せる(まかせる)」を感覚的に理解することが大切だと思うのです。

 

しかしながら、「宗教」というワードに拒否反応を示される方がいるのも事実かと思います。

なので、まずは宗教に対する私の考え方をお伝えしたいと思ってます。

 

私は宗教には2つの落とし穴があると思っています。

1つ目の落とし穴は、前回までに記事にしたところであります。

 

今日は、宗教の落とし穴の2個目です。

 

2個目の落とし穴とは、、、、
2個目の落とし穴とは、現在の宗教は、原始宗教をそのまま伝えていない事です。

原始宗教は、教祖様が生きていた当時の宗教かと思います。

しかし、原始宗教は教祖様が死亡した瞬間になくなり、変化し始めると思うのです。

 

私が思う、変化の主な原因を書いてみます~

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教典は弟子たちが書いた

宗教には教典がありますが、この経典自体が原始宗教ではないのです。

そもそも、仏教やキリスト教の経典は、教祖様であるブッタやキリストが書いたものではありません。

 

教祖様がお亡くなりになった後に、弟子たちが

「教祖様は確かこんなことを言ってたよなー」

って、思い出しながら書いたものです。

 

ですから、お弟子さんたちの主観や勘違いが入り込み余地があるってことです。

原典がよく分からない

さらに、教典の原典は所在不明の場合が多いという欠点があります。

私が勉強した限りでは、キリスト教の原典っぽいものがローマ教会にあるらしいですが、それすらも原典ではなくて、現存する最古の写本らしいです。

原典の内容が変化する

また、原典を写本すると以下の理由などにより、ちょっとづつ原典から変化して遠ざかっていきます。

  1. 写し間違い
  2. 多言語に翻訳する際の、翻訳間違い
  3. 権力者による意図的な改ざん

原典があっても、解釈が変わっていく

もし原典があったとしても、原典が書かれた当時の時代背景と現在の状況が違うために、原典の解釈がどんどん変わっていきます。

 

宗教とは違いますが、戦後に作られた日本国憲法第9条なんかは、解釈がどんどんかわってきた典型的な例かも知れません。

 

落とし穴は仕方がない

以上が、私が思う2つの落とし穴です、

(1個目は以前の記事をご覧ください。)

 

でも、私は落とし穴は仕方がないと思うのです。

それどころか、逆です。

 

発生から何千年も経過した宗教もあるのに、落とし穴にはまりつつも、本質のところはちゃんと後世に残っていると感じています。

 

宗教は本質だけを見ればいいんじゃない

落とし穴があることを前提に宗教を見てみると、逆に宗教の言いたいこと、本質が見えてくるような気がします。

 

落とし穴にはハマってしまった、枝葉の部分を見るのではなく、何千年も変わらない部分、つまり本質だけを見れば、良いと思うんですよね~

 

私は、宗教の本質と武道の本質は同じものだと思います。

その本質とは、、、、、、

 

ありゃりゃ、毛根再生に適切な22時を過ぎてしまったので、早く寝なくっちゃ~

続きはまた次回!!

 

ではでは また明日~