意識の花道!

身体操作や日常生活のコツは、脳が疲労するほどの「超高品質な意識」だったナリ。

意識・心のコリとは なんなのさ~

グラッチェ グラッチェ~ ずらいむ です!

 

さて、さて 今日からは

脱力の邪魔をする原因の中の、ラスボス!

「意識・心のコリ」について書いていきたいと思います。

 

でも、実は、、、、

どうやって、書き進めればいいのか、よく分からないんです。。。。

 

私自身、「意識・心のコリ」とは なんなのか?

よくわかっていないのでございます~

それじゃ~ こんな記事書くなよっ!!

って事なんですが、書きたいから仕方がないのでございます。

f:id:slime3:20211226122051p:plain



とにかく、ふらふらしながら、書きたいと思っておりますので、宜しくお願いします。('◇')ゞ

 

宗教とは違う、感覚的なもの

まず最初にお伝えしたいことがあります。

私が言う「意識・心のコリ」を無くす作業は、宗教とは似ていますが、違うものです。

 

私が勉強した限りでは、合気道開祖の植芝盛平翁は、新興宗教だった大本教に入信していますが、他の宗教を排除してはいません。

あくまでも、合気道を極めるための一手法として、宗教の一部を活用したと思うのです。

 

「意識・心のコリ」を無くすことは、日常生活はもちろん、音楽、芸能、スポーツ、芸術、学問そして武道、すべての分野で必要なことだと思うのです。

いや、あえて言うならば、、、、、

「意識・心のコリ」を無くす練習をするために、この世は存在しているとも言えるかもしれません。

 

この様に書くと、宗教色が出てしまう感じですが、私は宗教家でもないし、宗教を極めようとは一切思ってません。

あくまで、すべてを理論的に解明したいと思っているだけ、なのでございます。

武道なのに座学

私自身、武道というと、実戦的で毎日修行をするような、まるでリーリンチェイ主演映画「少林寺三十六房」のイメージを持っていました。

ところが、私が習った合気道は、体を使った練習が半分、座学が半分でした。

しかも、その座学は宗教的で、スピリチュアル的なものだったんです。

 

当時私はなんだか、だまされているような、洗脳されようとしているのではないかと思い、合気道の本を片っ端から読んで見ました。

すると、合気道は座学を重要視する武道であることが分かりました。しかし、、、

 

武道なのに、座学で勉強???

私は当時、なぜ座学をするのか意味がよく分かりませんでした。

私は、武道なら、正拳突きやキックを練習すべきだと思っていたからです。

私は、武道のくせに、なぜ座学をする必要があるのか?
その疑問を解くために、本を読み漁りました。

そして、ようやく分かってきたのです。

 

キーワードは、「冷酒と肉汁!」

あっ 間違った!

本当のキーワードは、、、、、、、、

 

あっ もうこんな時間~

早く寝ないと、毛根がなくなっちゃうわ~

ミノキシジルさんがお待ちかねだわ~

 

 

ではでは 続きはまた明日~