グラッチェ グラッチェ~ ずらいむ です!
さて、さて 今日からは
脱力の邪魔をする原因の中の、ラスボス!
「意識・心のコリ」について書いていきたいと思います。
でも、実は、、、、
どうやって、書き進めればいいのか、よく分からないんです。。。。
私自身、「意識・心のコリ」とは なんなのか?
よくわかっていないのでございます~
それじゃ~ こんな記事書くなよっ!!
って事なんですが、書きたいから仕方がないのでございます。
とにかく、ふらふらしながら、書きたいと思っておりますので、宜しくお願いします。('◇')ゞ
宗教とは違う、感覚的なもの
まず最初にお伝えしたいことがあります。
私が言う「意識・心のコリ」を無くす作業は、宗教とは似ていますが、違うものです。
私が勉強した限りでは、合気道開祖の植芝盛平翁は、新興宗教だった大本教に入信していますが、他の宗教を排除してはいません。
あくまでも、合気道を極めるための一手法として、宗教の一部を活用したと思うのです。
「意識・心のコリ」を無くすことは、日常生活はもちろん、音楽、芸能、スポーツ、芸術、学問そして武道、すべての分野で必要なことだと思うのです。
いや、あえて言うならば、、、、、
「意識・心のコリ」を無くす練習をするために、この世は存在しているとも言えるかもしれません。
この様に書くと、宗教色が出てしまう感じですが、私は宗教家でもないし、宗教を極めようとは一切思ってません。
あくまで、すべてを理論的に解明したいと思っているだけ、なのでございます。
武道なのに座学
私自身、武道というと、実戦的で毎日修行をするような、まるでリーリンチェイ主演映画「少林寺三十六房」のイメージを持っていました。
ところが、私が習った合気道は、体を使った練習が半分、座学が半分でした。
しかも、その座学は宗教的で、スピリチュアル的なものだったんです。
当時私はなんだか、だまされているような、洗脳されようとしているのではないかと思い、合気道の本を片っ端から読んで見ました。
すると、合気道は座学を重要視する武道であることが分かりました。しかし、、、
武道なのに、座学で勉強???
私は当時、なぜ座学をするのか意味がよく分かりませんでした。
私は、武道なら、正拳突きやキックを練習すべきだと思っていたからです。
私は、武道のくせに、なぜ座学をする必要があるのか?
その疑問を解くために、本を読み漁りました。
そして、ようやく分かってきたのです。
キーワードは、「冷酒と肉汁!」
あっ 間違った!
本当のキーワードは、、、、、、、、
あっ もうこんな時間~
早く寝ないと、毛根がなくなっちゃうわ~
ミノキシジルさんがお待ちかねだわ~
ではでは 続きはまた明日~